不安がものを増やすことから安心がものを減らすことへの転換期

ミニマリストへの道のり

大事なものを少しだけの安心感

無知への不安

昔は私はマキシマリストで、ものにこだわりのない、適当に選んでいた人間でした。

ものにこだわりがないのにモノが増えた理由は「不安」からくるものでした。

何にそんなにおびえていたのかわかりませんが、無知からくる不安だと思います。

仕事に関しての無知、結婚に対する無知。子育てに対する無知。

何よりたぶん、お金の使い方に対しての無知、世間知らずの人間でした。

モノに対する無頓着

必要があれば必要なものは買ってきました。

親も、そんな必要なものは買うし、別にものをこだわることもなく、買っていました。

そこには何の不安もなかったのです。いつでも買えるし。別に足りないと思わないしモノに興味がなかったのです。

ものにこだわりがないというか、判断をしてこなかったツケが、大人になってから現れました。

お金のまともな価値観がないまま結婚。急に不安になり、その場しのぎのものをたくさん買い込みました。

出産し、たくさんのモノの管理がいよいよできなくなり。家が荒れていきました。

結婚後の3LDKの一つ目のマンションは完全に1つの部屋が納戸化してつぶれていました。

ところが、お友達の家にお邪魔すると、自分のうちがくらべものにならないほどキレイで、どうやって家事育児にキレイな家をキープできるのか、不思議に思いました。

うちはどうやらモノが多すぎる!!!(遅い)

不安になりすぎていないか、大丈夫と安心できればものが減るのではないか、と気づきました。

転換期からの捨て

自分の主観では気づかないのですが、客観的に見て気づくことってあると思います。冷静に自己分析できたなら変われると思います。ダイエットも同じですよね。

なくてもいいもの、ことごとく捨てました。モノで一つの部屋がつぶれるなんてありえないことです。子供も当時はまだ1人。3人家族の物量ではないです。

ほぼ捨てていく中、自分が選んでおいておいたもの。それは本当に必要なものばかりで気に入っているものばかりでした。

この断捨離は自分にとって必要なものだったと思います。好きなものの傾向と対策が理解できました。

モノにもともと興味がない、こだわりがないと思っていましたが。

柄や派手なものは飽きる、恥ずかしくなる。ロゴも宣伝ぽくて飽きる。など、消去法で気が付きました。

残ったもの

  • シンプルなもの。
  • 素材のいいもの。
  • 使い心地のいいもの。
  • 便利なもの。
  • 管理に手間がかからないもの。
  • コスパがいいもの(管理に対してのコスパです。長く使えるとか、安いのを買い替えるとか)

こだわりがないといいつつ、よくよく考えたらなにかしら、買うときに選ぶポイントがあったようです。

長く使えるものに出会うために

食器

お恥ずかしいことに、食器も何一つ興味がありませんでした。食べれればいい、乗せれればいい、ただそれだけの存在でした。

食器はほとんどお祝いや引き出物でいただいたものばかりでした。

紙皿はちょっとあれだけど、プラスチック製でもいいやん。ってくらいの無頓着ぶりでした。

引き出物のウェッジウッドのお皿…。(オーソドックスなチェリーのものです←知らなさすぎ)

最初はしまいこんでいたのですが、普段使いをしてみて、素晴らしさに気づきました。

好きな方ごめんなさい、デザインは嫌いではないのですが特に好き~ということもなかったです。

…ですが、何この食器!?

水はけがいい、重さが絶妙に手に取りやすい、食べ物やスイーツがおいしそうに見える。

明らかな違いを感じられました。文明の利器!(笑)原始人のような感覚です(笑)

見た目ではなく、実用性。使い心地のいいものも長く愛せる、と確信しました。

もともと食器に関しては興味が全く薄いので、厳選するまでもなく枚数も少なかったのですが、割れたり欠けたりして、買い替えるときがうれしかったです。(むやみに買い替えしません、使い切ります)

たぶん、これを繰り返して、気に入っているものばかりになると、買い替えるとき悲しくなるんだろうなぁ、と思います。まだまだ過渡期です。

ゆるーく買い替えていく

大事に使うこと、まだまだ好きなものとの出会いが不足しています。

こうして気負うと買い物がどんどんしんどくなってきます。

失敗したくない、好きになれるものを買いたい!となると限りなく疲れます。

壊れるまでは買いなおしはしません。

壊れてからゆっくり考えて買い替える。

その間に入らなくなる可能性も大です。

ラクに、ゆるく、変えていくのが理想ですので、無理はしません。

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