余裕、ゆとりが必要
ミニマリストの思考のとらわれ方
私がミニマリストにあこがれるのは、家のことをする時間が短く、自分の時間を有効に使えるからです。
物の管理に時間を割きたくない、これにつきます。
ごちゃごちゃ言ってますが、家事をさっさと終わらせたいだけです!
でも、これだと、厳しく自分を律して、例外を認めず、がんじがらめな思考になりがちです。
でも一流の(?)ミニマリストの方々は自由で、自分らしさに磨きをかけて人とのコミュニケーションに時間やお金を割いています。
ふと今の忙しい状態は私の目指しているものとは真逆のがんじがらめな状態になっていると感じました。
今、自分を追い込んでしまっています。
今、過密スケジュールで余裕がなく。余裕がなければないほど、自分を追い込みがちです。あれもこれもしなければ、捨てないとまた溜まってきた、とストレスになります。
余白がないので少しの隙間に詰め込みまくります。ミニマリストにとらわれて、悪い思考になってしまいました。
それは最小限の暮らしではありません。
初心に戻って、ラクにミニマルになりたいという思考を思い出したいと思います。
忙しさの中で、できるものを取捨選択
私はできること、考え付いたものを少しずつでもやっていくタイプです。少しでも早く減らしていきたいという気持ちからです。
夫は反対で、やるべきことをリストアップして、どれからやるか。優先順位をつけてやるタイプです。
ものすごく忙しい時に、夫が優先順位をつけるのにうーんと頭をひねっていると、先に体を動かすタイプの私はイラっとすることもしばしばですが、(笑)どちらが正しいわけでもなく、タイプの違いですよね。
自分のやりかたで、処理していくしかありません。
(私は考えれば考えるほどめんどくさくなって体が動かなくなるので、少しでも前に進みたいと思ってしまいます←くどい)
できないことは忘れる、忘れるためにすることだけ。
思考の取捨選択です。
やらなくてもいいものは忘れましょう。記憶喪失ではなく頭の片隅に追いやるイメージです。
ここに書いといたら忘れないとか、その程度です。
少し余裕ができるはずです。
余裕がない状態からの脱却
これがむつかしいです。
疲れがピークで何もしたくない時はもうあきらめていいです。
諦めてそのあと、倍の速さで動けばいいだけです。
余白のために身を削る必要はないので。
でも余白がない状態を常とするのは危険です。
後回しにしたツケが回ってくるので。
うちの家では後回しの罰とか後回しの罪と呼んでいます。
早くやればやるほど、楽なので。
後回しの罪、結構重いんです。(@@)
洗い物とかだとこびりつくし。洗濯アイロン、全部ですが、たまったら余計にやりたくなくなる心境です。後回しの罰が発動です。
それを逆にして、先回りの得と考えます。
先先やっていると後が楽(夏休みの宿題)です。
子供もそうですが、大人も罰と言われたら悲しくなるし、やる気もそう起こらないのですが、自分のために楽になるために、先回りの得でやっとこ、と思う方が、自然に体が動きやすい気がします。
単なる言い方の違いですが。
当たり前の日常と、ほんの少しの余裕の中に新しいことを見出す
できる人はできていて、当たり前のようにしている人が多い中、私はいちいち立ち止まって考えてしまいます。できる人はそれこそ、こんな思考の仕方は忘れて情報の取捨選択をすればいいのです。
できないからこそ、努力をして分析をして、できるようになろうと思うのです。
当たり前の日常は当たり前ではない
悲惨なニュースが最近多いです。子供が犠牲になったり心が痛いです。
当たり前にある家に感謝、家族に感謝、毎日に感謝したいです。
毎日をただただ生きるのは動物園の動物と変わりない日常です。
過ぎていく日常に、新しいことを少しずつ取り入れ、日常が幸せと思えるような生活基盤を作っていきたいと思います。
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